今日はゲストスピーカーを迎えてEthicsについて考えるというセッションがあった。日本ではBusiness Ethicsについて自分のこととして考える機会はあまりないが、こちらに来てEthicsについて考える機会が多い。裏を返せばそれだけUnethicalな状況が日常化しているということなのかもしれない。その教え方は特徴的で、今日はインサイダー取引で儲けた結果、牢屋に入ってしまったという人がやってきて1時間あまり自分のやったことを話すというものだった。まだ日本では裁判中だが、村上ファンドの村上氏がやってきて講演するようなもの。日本だと教条主義的な説教を押しつける結果、かえって反発を招いてしまって(=もうわかってるよ、という態度)、思ったように徹底されないばかりか逆効果になる(=開き直り)ということがありがちだが、そうならないようによく工夫されている。今回の話はおおざっぱに言うと、「自分はWall Streetで何億ドルも稼いでいたが、ある時まずい取引だと知っていて手を出してしまった。捕まって牢屋に入って妻や子供と別れ、全てを失った。牢屋から出てきた時に出口で待っていたのは両親だけだった。つましく暮らしている両親がお前の名誉回復のためなら何でもすると言ってくれて、一番大事なのはmoneyじゃないと思った。」というありがちな話で、要約すると表現力のまずさも加わって、あまり面白く感じられないのだが、「朝6時に誰かが訪ねてきてドアを5回ノックした、知っておくといい、ドアを5回ノックしたらそれはFBIだ」とか、「逃亡しようと考えて思いついた国は北朝鮮とアフガニスタンだった」とか、「プエルトリコに逃亡してCNNを見ていたら顔が出てしまって観念した」とか、かなり具体的なエピソードを交えながらの話で、あっという間に1時間が経過してしまった。
どこまで本当かどうか実際の所はわからないが、たとえ作り話だとしてもよくできていて、自分がその場にいたらどう判断して行動するかを真面目に考えることができた。最後にPersonal Integrityを持って行動しなさいと言われた時に、今まで自分が使っていたIntegrityという言葉に違う側面があるという事に気づいた。これまでは高市早苗に象徴される政治家の首尾一貫性のなさを批判する場合にIntegrityという言葉を使うことが多かったが、今回の使われ方は、一線を超えていいかどうかの最終判断は自分の中にあるので、常に自らの信念を持って行動しなさいというものだった。幸い日本で会社勤めをしているとEthical Dilemmaに悩まされる機会はあまりないが、自分の中に明確な基準を持っていないと、ズルズルと状況に押し流されて気がつくと意図しない所まで行ってしまうことはよくある。間違っていることにはっきりとノーと言えるか?ノーと言えない性格的な弱さを克服できるか?話を聞きながら何度も自問したのだった。